メキシコ

Posted at 07/04/21

メキシコ合衆国(メキシコがっしゅうこく)は、ラテンアメリカの連邦制国家である。北はアメリカ合衆国と、東南はグアテマラ、ベリーズと国境を接する。西は太平洋、東はメキシコ湾とカリブ海に面する。ラテンアメリカの中では、最北に位置し、面積は3番目の大きさである。また、人口およそ1億人で、スペイン語圏で最大の人口を誇る。

国名
正式名称は、Estados Unidos Mexicanos(スペイン語: エスタドス・ウニドス・メヒカノス)、略称は、 "Mejico" (メヒコ)、 "Mexico" (メヒコまたはメキシコ、表記であり発音に決まりはない)。

公式の英語表記は、United Mexican States(ユナイテッド・メキシカン・ステイツ)、略称は、Mexico(メクスィコゥ)。スペイン語の国名を英語読みしたものである。

日本語訳はメキシコ合衆国で、通称はメキシコである。漢字と中国語表記は墨西哥で、略して墨。

国名のメヒコは、独立戦争の最中の1821年に決定したものであり、アステカの言語ナワトル語(Nahuatl)で、「メシトリの地」という意味。メシトリ(メヒクトリとも表記される)は、アステカ族の守護神であり、太陽と戦いと狩猟の神であるウィツィロポチトリの別名で、「神に選ばれし者」という意味がある。アステカで最も信仰されたこの神の名に、場所を表す接尾語「コ」をつけて、この地における国家の独立と繁栄に対する願いを込めた。


歴史
詳細はメキシコの歴史を参照


先住民文明この地域は、紀元前2万年頃の人間が居住したと形跡があると謂われ、かつて後期マヤおよびアステカのような複数の高度な先住民文明の拠点として繁栄を極めていたが、16世紀初頭のスペイン人エルナン・コルテス (Hernán Cortés) の到着と1521年のアステカ人の敗北、そしてスペイン人による支配により、この地に「ヌエバ・エスパーニャ(新しいスペイン)」と呼ばれる植民地が誕生し、メキシコの植民地時代の始まりを告げた。


パレンケのマヤ時代のピラミッド
メキシコ革命以後
ポルフィリオ・ディアス (Porfirio Díaz) の長く、非民主的な政体は1910年以降のメキシコ革命をもたらす。革命軍は政府軍を敗北させたが、20年以上の長年に渡る内戦を残した。革命が終わると制度的革命党 (PRI) が第二次世界大戦を挟み、20世紀の終わりまで与党として政治を支配したが、蔓延する汚職や停滞する経済の責任を問われて総選挙で敗退したものの、現在も強力な政党として大きな影響力を維持し現在にいたる。

また、20世紀に入って以降は石油や銀の産出が大きな富をもたらしたものの、その後の工業化の過程で莫大な対外負債を抱え、工業化には成功したものの、慢性的なインフレと富の一部富裕層への集中が国民を苦しめる結果となった。


国民
人口:1億778万人(2006年)

人口増加率: 1.18%(年率)

人種構成:

混血(メスティーソ):60%、
先住民族(インディオ):25%、
ヨーロッパ系(主にスペイン人。他にもイタリアやフランス、ドイツなどからの移民の子孫がいる):14%
その他 : 1%
公用語はスペイン語だが、先住民族の65言語(マヤ語など)は政府が認めている。宗教はローマ・カトリックが89%、プロテスタントが6%、その他が5%である。


地理

カンクン北米大陸の南部に位置し、約197万平方kmの面積(日本の約5倍)を持つ。海岸線の総延長距離は1万3868kmに達する。海外領土は持たないが、領土に含まれる島の面積は5073平方kmに及ぶ。

メキシコの地質構造は北に接するアメリカ合衆国とは異なり、クラトンが存在しない。アラスカから太平洋岸に沿って伸びるコルディレラ造山帯とアメリカ合衆国東岸に沿う古いアパラチア山脈に続くワシタ造山帯(メキシコ湾岸)がメキシコ国内で一つにまとまる。地向斜による膨大な堆積物がプレート運動により褶曲山脈を形成しているほか、第三紀以降の新しい火山が連なる。このため、メキシコは高原の国であり、北部は平均1000m前後、中央部では2000m前後である。標高5000mを超える火山も珍しくなく、メキシコ最高峰のピコ・デ・オリサバ山(シトラルテペトル山)の5689m(もしくは5610m)をはじめ、ポポカテペトル山 (5465m、もしくは5452m)、イヒタキウアトル山 (5286m)、シシュタシワトル山 (5230m) などが連なる。最も頻繁に噴火を起こすのはコリマ山 (4100m) である。

最長の河川はアメリカ合衆国との国境を流れるリオ・ブラボ・デル・ノルテ川(リオ・グランデ川)であり、3057kmのうち2100kmが両国の国境を流れる。最大の湖はチャパラ湖(1680平方km)である。


気候メキシコの気候は地域により変化に富んでいる。例えば、年平均降水量が100mm以下の地域もあれば、5000mmを超える地点もある。カリフォルニア半島の大部分と、メキシコ高原中央部は、ケッペンの気候区分でいう砂漠気候 (BW) であり、北回帰線より北のほとんどの地域はステップ気候 (BS) に分類される。いずれも乾燥気候である。北回帰線よりも南では、海岸線に沿って熱帯気候に分類されるサバナ気候 (Aw) が伸びる。ユカタン半島南部にのみ弱い乾期の存在する熱帯雨林気候 (Am) が見られる。熱帯雨林気候 (Af) はテワンテペク地峡北部にのみ存在する。メキシコ湾岸沿いの一部の地域には温帯気候である温暖湿潤気候 (Cfa) が、山岳部は温帯気候である熱帯夏雨気候 (Cs) と高山気候 (H) が卓越する。首都メキシコシティの平均気温は、13.7℃(1月)、16.5℃(7月)。年平均降水量は1266mmである。メキシコシティの標高は2268mであり、典型的な高山気候である。亜寒帯気候にも似ている。

平均的には非常に温暖な気候で、沿岸部には世界的に有名なビーチリゾートがたくさんある。東部・カリブ海沿岸ではカンクンなど、太平洋沿岸の西南部ではアカプルコやイスタパなど、西端にあり太平洋に面する細長いバハカリフォルニア半島のカボ・サンルーカスやラパスなどがこれに該当し、世界中から観光客を引きつけるとともに、貴重な外貨の収入源となって多くの雇用をもたらしている。


外交
第二次世界大戦後の冷戦当時から、隣国のアメリカとの深い関係を保ちつつも、ソビエト連邦やキューバなどの共産圏の国との関係を維持してきた。特にキューバとの間では、1959年のキューバ革命以降近隣の中南米・カリブ海諸国がキューバとの関係を断絶した中、国交を継続している。また、元の宗主国であるスペインとの関係は非常に強いものの、1975年9月にブランコ前首相の暗殺に関わったとされる活動家5人が処刑された際に、抗議して一時国交を断絶したことがある。


日本との関係
江戸時代の始めの1609年(慶長14年)、フィリピン総督ドン・ロドリゴの一行がマニラからの帰途に、大暴風の為房総の御宿海岸に座礁難破した。地元の漁民達に助けられ、時の大多喜藩主本多忠朝がこれら一行を歓待し、徳川家康が用意した帆船でメキシコへ送還したことから、日本とメキシコとの交流が始まった。そして1613年に仙台藩主伊達政宗の命を受けた支倉常長は、ローマ教皇に謁見すべくメキシコ、スペインを経由しイタリアのローマに向かった。支倉常長の一行が乗ったサン・フアン・バウティスタ号は太平洋を横断しアカプルコへ、その後陸路メキシコシティを経由し大西洋岸のベラクルスからスペインへ至った。メキシコでは大変手厚いもてなしを受け、現在、記念碑や教会のフレスコ画などに当時を偲ぶことができる。

また、日本が開国して諸外国と通商条約を結んだなかで、1888年(明治21年)メキシコと締結した日墨修好通商条約は日本にとって初めての平等条約であり、諸外国の駐日大使館のうちでメキシコ大使館のみ東京都千代田区永田町にある。


日産自動車のアグアスカリエンテス工場で生産された「セントラ」19世紀末には榎本移民団によるメキシコへの移住が始まり、戦後まで続いた。移民者の数は総計10,000人余りに達し、その子孫が現在でもメキシコの各地に住んでいる。その後の第二次世界大戦後の高度経済成長期に日産自動車や日立製作所、JALホテルズや東京海上日動など、重工業から観光業、金融業に至るまで約300社にわたる様々な分野の日本企業が進出している。

特に日本企業としては最初期の1966年7月からメキシコ現地工場での自動車生産を開始した日産自動車は、アメリカとの国境地帯とメキシコシティーとの中間点に位置するアグアスカリエンテスやメキシコシティ郊外のクエルナバカに工場を持ち、2004年度販売台数ベースでトップシェアを誇るなど(親会社のルノーと併せての台数)現地に深いネットワークを持っている。

メキシコの独立記念日の9月15日が日本での敬老の日で休日になることから、大阪市のメキシコ総領事館が主催で、「フィエスタ・メヒカナ大阪」というお祭りを領事館の入居している梅田スカイビルのワンダースクエアーで開催している。メキシコ政府が国外で行う文化交流としての祭事としては規模は最大のものである。

経済

ぺメックスのガソリンスタンドカリブ海沿岸地域を中心にして油田が多く、第二次世界大戦頃より国営石油会社のぺメックスを中心とした石油が大きな外貨獲得源になっている「他、銀やオパールの産地としても古くから世界的に有名である。他にも水産業や観光業、製塩やビールなどが大きな外貨獲得源になっている。また、20世紀前半より工業化が進んでおり、自動車や製鉄、家電製品の生産などが盛んである。GDPでは現在世界第14位と、中南米諸国においてはブラジルに次ぐ経済規模を持つ。主な貿易相手国はアメリカ、カナダ、日本、スペインなど。

特に1994年1月1日に北米自由貿易協定 (NAFTA) が発効した後は、その安価な労働力を生かしてアメリカやカナダ向けの自動車や家電製品の生産が増加している。しかし、その反面経済の対米依存度が以前にもまして増えたため、NAFTA加盟国以外との経済連携を進めており、2004年9月17日には日本との間で、関税・非関税障壁の除去・低減や最恵国待遇の付与を含む包括的経済連携「日本・メキシコ経済連携協定」について正式に合意した。


交通

アエロメヒコ航空のボーイング767型機南北アメリカ間、太平洋とカリブ海を結ぶ中南米の交通の要所として、メキシコシティが航空の要所として、ベラクルス港やアカプルコ港が海運の要所として、また、国土を縦断するパンアメリカン・ハイウェイや国土を網羅する鉄道網が陸運の要として機能している。また、メキシコシティやグアダラハラなどの大都市には充実した地下鉄網や市バス網が完備されている。


日本との交通
日本との交通は、日本航空とアエロメヒコ航空が成田国際空港とメキシコシティの間に(アエロメヒコ航空はティファナにも)それぞれ週2便の直行便を就航させている他、アメリカやカナダ乗り継ぎで行くことも可能である。


文化
古くから音楽や絵画、彫刻など芸術面で世界的に有名な人物を輩出してきている。特に1930年代からはじまったディエゴ・リベラ、ダビッド・アルファロ・シケイロス、ホセ・クレメンテ・オロスコなどの壁画家たちによるメキシコ壁画運動は世界の美術史の中でも特出している。ディエゴ・リベラの妻のフリーダ・カーロもメキシコの女流画家として世界中で紹介されている。
2003年に、隣国・アメリカにおいて著作権の保護期間を死後70年・公表後95年に延長した法律が最高裁判所において合憲となったことを受けて、それまで「死後または公表後75年」であった規定を「100年」に延長した。この規定は、コートジボワールの99年を抜いて世界で最も長い保護期間である。

世界遺産メキシコ国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が22件、自然遺産が2件ある。詳細は、メキシコの世界遺産を参照。


食文化
タコス一般的に辛いことで知られているメキシコ料理は世界的に人気があり、特に隣国のアメリカではアメリカ風に独自にアレンジされたタコスやブリトーがファストフードとして広く普及しているが、それらはテックス・メックス(Tex-Mex)と呼ばれメキシコ国内ではそれほど普及していない。主食はトルティーヤと呼ばれる粉を練ってのばして焼いた薄いパンのようなもので、北部では小麦粉、中部、南部ではトウモロコシの粉を使ったものが主流である。基本的には豆やとうもろこし、鳥肉を原材料に使ったメニューが主体になっており、他にも米や魚類、牛肉なども使われることが多く、一見単純に見えて繊細な味がその人気の理由とされている。

メキシコの伝統料理とは、修道女たちがメキシコで収穫される農作物で王宮料理をつくる目的で研究されたもので、プエブラという古都が有名である。代表的なものに、モレがある。

海に囲まれているため魚介類も豊富で、魚や海老などを使った料理も多い。特に日本にとってはえびの大きな供給元として知られている。


ビール
また、メキシコはビールの特産地としても知られており、コロナビールやXX(ドスエキス)などの著名なブランドが世界中に輸出されている。


スポーツ
伝統的にサッカー、プロレス、モータースポーツなどが高い人気を誇っている他、野球(メキシカンリーグを参照)や闘牛、ボクシングなども非常にポピュラーで、多くの著名な選手を世界に送り出している。


サッカー
クアウテモック・スタジアム(プエブラ市)サッカーはブラジルやアルゼンチン、コロンビアなど他の中南米諸国同様、メキシコでも最も人気のあるスポーツである。メキシコリーグは中南米でもレベルの高いリーグの一つで、有名な選手を世界中に送り出している。かつて元日本代表選手の福田健二が1部リーグの強豪チーム・パチューカに所属していた。

また、1970年と1986年にはFIFAワールドカップメキシコ大会が開催されている。その時の決勝戦の開催地であるメキシコシティ中心部にあるアステカ・スタジアム (Estadio Azteca) は、1968年にメキシコシティで中南米諸国で初の夏季オリンピックが開催された時のメインスタジアムでもある。メキシコ代表はワールドカップで欧州や南米の強豪と互角以上の戦いを繰り広げ、ここ3大会はいずれも決勝トーナメントに進出しており、また、最新の2006 FIFAワールドカップでも決勝トーナメントに進出した。


ルチャ・リブレ
空中技を見せるエディ・ゲレロサッカーと並んでメキシコを代表するスポーツと言えば、派手なマスクと華麗な空中戦が見もののメキシカン・プロレス、ルチャ・リブレであろう。日本にも熱狂的なファンが多く、日本からの観戦ツアーが多数企画されるのみならず、日本のレスラーが空中戦の技術を学ぶために留学するケースも多数見られる。また、日本の全日本プロレスやアメリカのWWEなどの団体に多くの選手を送り込んでいる。

メキシコシティ市内にある競技場、アレナ・メヒコ (Arena México) とアレナ・コリセオ (Arena Coliseo) は、ルチャ・リブレの2大聖地と言われ、メキシコ最大のルチャ団体・トリプレ・アの看板スター、ドス・カラス・ジュニアやエル・イホ・デル・サントが繰り広げる華麗な空中戦を見るために世界中から観客がやってくる。


モータースポーツ
ブラジルやアルゼンチン等の他の中南米の主要国同様、富裕層を中心にモータースポーツが高い人気を誇っている。1950年代に行われたメキシコを縦断する公道レースカレラ・パナメリカーナ・メヒコや、カリフォルニア半島を縦断するオフロード・レース、バハ1000は世界的に有名。また、1990年代初めまではメキシコシティ国際空港近くのエルマノス・ロドリゲス・サーキットでF1世界選手権が開催されていた。2004年からはWRCがメキシコ北部を舞台に毎年開催され人気を博している。

メキシコ出身の著名人

政治
ベニート・ファレス(初代大統領)
ポルフィリオ・ディアス
マヌエル・ゴンサレス
フランシスコ・マデロ
エルネスト・セディージョ

スポーツ

プロレス
ミル・マスカラス
ドス・カラス
エディ・ゲレロ
チャボ・ゲレロ
ソチ浜田
浜田文子(ソチ浜田の妹)
リッキー・マルビン
フベントゥ・ゲレーラ
ウルティモ ドラゴン
ミスティコ
サントス
ブルーデイモン


野球
フェルナンド・バレンズエラ
ビニー・カスティーヤ
ホルヘ・カントゥ
カリーム・ガルシア
エステバン・ロアイザ

サッカー
ジャレド・ボルゲッティ
ガルシア・アスペ
ウーゴ・サンチェス
ラファエル・マルケス

ボクシング
フリオ・セサール・チャベス
ルーベン・オリバレス
グティ・エスパダス
カルロス・サラテ
アルフォンソ・サモラ
ミゲル・カント
サルバドール・サンチェス
フアン・マヌエル・マルケス・メンデス
ラファエル・マルケス・メンデス
エリック・モラレス
マルコ・アントニオ・バレラ
イスラエル・バスケス
ジョニー・ゴンザレス
イグナシオ・ベリスタイン(マネージャー)
ホルヘ・アルセ
ホセ・ルイス・カスティージョ
ウーゴ・カサレス
リカルド・ロペス

その他
エイドリアン・フェルナンデス(レーシングドライバー)
ラファエル・オスナ(テニス選手)
アルトゥーロ・バリオス(陸上競技選手)

音楽・芸能
アウグスティン・ララ(音楽家)
クリスティアン・カストロ(歌手、俳優)
ガエル・ガルシア・ベルナル(俳優)
カフェ・タクーバ(音楽グループ)
カンティンフラス(俳優、コメディアン)
カルロス・サンタナ(アーティスト)
タリア(歌手、女優)
トリオ・ロス・パンチョス(ミュージシャン)
サルマ・ハエック(女優)
アレハンドロ・フェルナンデス(歌手、俳優)
フェイ(歌手)
フリエッタ・ベネガス(歌手)
マナー(音楽グループ)
ルイス・ミゲル(歌手)
ナタリア・ラフォルカデ(歌手)
パウリナ・ルビオ(歌手、女優)

芸術
ディエゴ・リベラ(画家)
フリーダ・カーロ(画家)
セルヒオ・ブスタマンテ(彫刻家)
ルフィーノ・タマヨ(画家)
アントニオ・セラーノ(映画監督)
ルイス・バラガン(建築家)
フェリックス・キャンデラ(建築家)
リカルド・レゴレッタ(建築家)
修道女ソル・フアナ(詩人作家)
アルフォンソ・キュアロン(映画監督)

その他
政井マヤ(フジテレビアナウンサー)
エドガー君(ヤーウェイ)
ルイス(テレビコメンテーター・イベントMC)


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

メキシコ」の参考文献情報
ページ名: メキシコ
著者: Wikipedia の執筆者たち
発行者: 『Wikipedia』
更新日時: 2007年4月19日 13:33 (UTC)
取得日時: 2007年4月20日 23:56 (UTC)
恒久的なURI: http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%A1%E3%82%AD%E3%82%B7%E3%82%B3&oldid=12007623
ページの版番号: 12007623

スポンサードリンク